怪我と戦い続けたグラント・ヒル
NBAで18シーズンにわたってプレイしてきたグラント・ヒルが現役引退を表明した。
ヒルはディフェンス力の高さに定評があるが、全盛期は優れたオフェンス力を持ち味に得点を量産するプレイヤーだった。
カレッジバスケの名門、デューク大学を卒業すると、1994-95シーズンにデトロイト・ピストンズの一員としてNBAデビュー。
1年目から平均19.9得点、6.4リバウンド、5.0アシスト、1.8スティールを記録し、ジェイソン・キッドとともにルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞。
さらに、ルーキーにもかかわらずオールスターファン投票でトップの得票数を獲得した。
華々しいデビューを果たしたヒルだが、彼のNBAキャリアは怪我との戦いだったといえるだろう。
NBA入りして7年目となる2000-01シーズン、オーランド・マジックに移籍したヒルには、同時期に移籍してきたトレイシー・マグレディとともにチームを牽引する役割が期待されていた。
だが、開幕4試合目で足首を骨折。
シーズン中に復帰することは叶わず、以降は度重なる怪我に苦しめられることとなる。
引退の噂も囁かれるなか、フェニックス・サンズへ移籍。
これが怪我に苦しんだヒルにとっては吉と出る。
サンズのメディカルチームはNBAトップレベルと評価されており、ヒルもコンスタントに試合に出場。
マジック時代には1シーズンあたり33試合の出場にとどまったものの、サンズでは1シーズンあたり63試合に出場。
現ロサンゼルス・レイカーズのスティーブ・ナッシュとともに、チームを牽引した。
2012-13シーズンにロサンゼルス・クリッパーズへ移籍したものの、怪我の影響でわずか29試合の出場に終わった。
チャンピオンリングを手にすることは叶わなかったヒルだが、記憶に残るプレイヤーとしてこれからも語り継がれていくだろう。
1972年生まれのヒルは、元NHFのスター選手を父に、ペンタゴンの元事務官を母に持つ。
まさに文武両道の血を受け継いでいるといえるだろう。
そんなヒルだが、まだ全盛期の頃、ある雑誌のインタービューでこう話していた。
「バスケットボールを引退したあとは弁護士になりたいね」
今度の活動については具体的に伝えられていない。
バスケットIQに優れている彼なら、コーチとしても活躍できるのではないだろうか。
ヒルの引退は非常に悲しいことだが、40歳という年齢まで活躍できたのは血の滲むような努力があったからに違いない。
しばらくは疲れた身体を心を休め、違う形で再びNBAという舞台に戻ってきてもらいたいものだ。
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