メッタ・ワールドピース キャリアが傾いた原因は「パレスの騒乱」
インディアナ・ペイサーズに所属していた2004-05シーズン、メッタ・ワールドピースは開幕7試合で平均24.6得点、6.4リバウンド、3.1アシスト、1.7スティール、0.9ブロック、FG成功率49.6%、3P成功率41.2%と好調な出だしを切っていた。
その前のシーズンにはオールスターに選出、さらにはディフェンシブ・プレイヤー・オブ・ザ・イヤーを受賞。
ワールドピースにはますますの活躍が期待されていたが、問題は2004年11月に起きた。
ペイサーズ対デトロイト・ピストンズの試合中に起きたNBA史最悪の乱闘事件とされている“パレスの騒乱”だ。
ベン・ウォーレスとワールドピース(当時はロン・アーテスト)の乱闘をきっかけに、観客を巻き込む大乱闘に発展。
スポーツ界を震撼させたこの事件により、ワールドピースにはシーズン全休の処分が下った。
翌シーズン中にサクラメント・キングスへトレード移籍したワールドピースだが、それ以来オールスターに選出されることはなくなった。
ワールドピースは自身のキャリアを振り返り、パレスの騒乱がきっかけとなってキャリアが落ち込んだと考えている模様。
ワールドピースはパレスの騒乱について「若気の至り」と前置きしたうえで、次のようにコメント。Sportsnetが伝えている。
「持ち直すまで時間がかかったよ。あの乱闘の時、俺はすごく落ち込んだ状態になった。それまで良い感じで来てたんだけどね。その前のシーズンはオールスターチームの選手だった。(パレスの騒乱がなければ)オールスターにもっと選ばれてたんじゃないかな。あの時は引退も考えてたんだ」
「(パレスの騒乱の)翌シーズンにペイサーズに復帰したんだけど、ロッカールームで問題を起こしてしまった。そしてトレードを要求した。俺がサクラメントに移籍した時、リック・アデルマン(当時のキングスHC)にこう伝えたんだ。『俺が何かもたらせるとは思わない』と。そしたら彼は『ロン、君が我々を引っ張っていってくれる限り、我々も前に進んでいくよ』と言ってくれたよ。それを聞いた俺はすぐにメディアのところに言って、こう話したんだ。『俺らはプレイオフに進出するだろう』とね。みんな笑ってたよ。俺らは最下位だったから。でも俺らはプレイオフに進出した。(サンアントニオ・)スパーズに勝てそうなところまでいった」
「リック・アデルマンは俺の人生を変えてくれた。だけど(復活まで)しばらくかかったよ。破壊的で不安定な状態が続いてたからね。でも俺はどんどん良くなっていったんだ」
“パレスの騒乱”ような事件は二度と起きてはならない。
歴史に残る大乱闘を経験したワールドピースは、それを後世に伝えていかなければならないだろう。
パレスの騒乱から10年以上が経過し、ワールドピースは36歳の大ベテラン選手となった。
その間にロサンゼルス・レイカーズでタイトル獲得を経験したワールドピースは、リーグで他に類を見ないほどの浮き沈みを経験したに違いない。
将来有望とされるレイカーズの若手選手に対し、これまでの経験を伝え、これからの指針を示してもらいたいところだ。
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初めまして!
いつも楽しませてもらっております。
パレスの騒乱は2014年ではなく、2004年ですね!
ご指摘ありがとうございます。
去年のことになっちゃいますね(^_^;)
助かりましたm(_ _)m