トレイシー・マグレディ「ティム・ダンカンが来ていれば僕の人生は変わっていたかも」
全盛期のトレイシー・マグレディは、NBAを代表するスコアラーのひとりだった。
当時ヒューストン・ロケッツに所属していたマグレディが試合終盤の35秒間で13得点を記録し、チームを勝利に導いた驚愕のプレイは誰もが知るところだろう。
だが、マグレディはNBAチャンピオンになることなく現役を終えた。
しかし、マグレディによると、当時所属していたオーランド・マジックがティム・ダンカンとの契約交渉をまとめることができていたら、マグレディのNBAキャリアは違う結果になっていたという。
マグレディは当時を振り返り、次のようにコメント。fadeawayworld.netが伝えている。
彼ら(マジック)は僕をリクルートする前に、彼ら2人(ダンカンとグラント・ヒル)をリクルートしていた。
当時の僕はまだ3年目だったし、ベンチプレイヤーだった。
ティム・ダンカンとどう交渉していたかについては、まだドック(・リバース)と話をしていないから、僕の憶測に過ぎない。
彼(リバース)はティム・ダンカンを許さなかった。
彼(ダンカン)は遠征の時、彼の伴侶を一緒に飛行機に乗せたいと思っていたんじゃないかな。
ドックはそれを許さなかった。
だから契約はまとまらなかった。
僕はそう聞いている。
もし契約が実現していれば、僕の人生は変わっていたかもしれない。
僕だけでなく、たくさんの人たちの人生も変えていたかもしれないね。
マジックはダンカンを獲得できなかったものの、ヒルの獲得には成功した。
だが、ヒルは怪我でわずか4試合の出場にとどまり、チームに貢献することができなかった。
マジックとダンカンは当時、契約寸前までいったものの、サンアントニオ・スパーズのグレッグ・ポポビッチHCと”提督”デイビッド・ロビンソンに説得され、スパーズと再契約したという。
もしマジックがダンカンを獲得し、かつヒルに怪我がなければ、マジックは他のNBAチームにとって脅威となっていたに違いない。
なお、ヒル、ダンカン、マグレディのNBAキャリアのスタッツは以下の通りとなっている。
– | G・ヒル | T・ダンカン | T・マグレディ |
---|---|---|---|
出場試合数 | 1026 | 1392 | 938 |
平均出場時間 | 33.9 | 34.0 | 32.7 |
平均得点 | 16.7 | 19.0 | 19.6 |
平均リバウンド | 6.0 | 10.8 | 5.6 |
平均アシスト | 4.1 | 3.0 | 4.4 |
平均スティール | 1.2 | 0.7 | 1.2 |
平均ブロックショット | 0.6 | 2.2 | 0.9 |
平均ターンオーバー | 2.4 | 2.4 | 2.2 |
FG成功率 | 48.3% | 50.6% | 43.5% |
3P成功率 | 31.4% | 17.9% | 33.8% |
フリースロー成功率 | 76.9% | 69.6% | 74.6% |
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