ポール・ピアースに”The Truth”のニックネームを授けた人物とは?
ポール・ピアースはNBA史上最も偉大な選手のひとりだ。
1998年のNBAドラフト10位でボストン・セルティックスに入団したピアースは、ルーキーシーズンから高いポテンシャルを発揮し、平均二桁得点を記録。
その後NBAスターへの階段を着実に上がり、いつしか人々はピアースを”ザ・トゥルース”と呼び、愛すようになった。
ピアースによると、”ザ・トゥルース”のニックネームをつけたのは、当時ライバルのロサンゼルス・レイカーズに所属していたシャキール・オニールだったという。
ピアースは”ザ・トゥルース”と呼ばれるようになった経緯について、次のようにコメント。fadeawayworld.netが伝えている。
ステイプルズセンターを訪れるたびに、僕はビッグゲームをしなければならなかった。
僕が42得点くらい決めた試合だったと思う。
君たちも知っての通り、コービー(・ブライアント)とシャックがいるチームとの対戦だ。
彼らはチャンピオンだった。
スティーブ・ブルペットという名前のレポーターが僕のところに来たのを覚えている。
彼はこう言っていたんだ。
「シャックが君のことを何と言ったのか知っているかい?」とね。
僕は「何?」という感じさ。
この引用は編集しないでくれ。
「ポール・ピアースはマザーファッ●ング・トゥルースだ」だ。
その翌日、紙面には「ポール・ピアースはザ・トゥルース」と書かれていた。
君たちも知っての通り、人々はそこから僕のことをそう呼び始めた。
僕は「良いね。気に入った」という感じさ。
その後、僕は連続で40点以上を記録したと思う。
僕の自信は天井を突き抜けた。
ディーゼル(オニール)にニックネームをつけてもらえたら、それはリスペクトだ。
”ザ・トゥルース”のニックネームを授かり、ますます自信を深めたピアースはその後も素晴らしいNBAキャリアを送り、2008年にはセルティックスをNBAチャンピオンに導いた。
引退後のピアースの言動には賛否両論あるものの、”ザ・トゥルース”はこれからも彼の道を歩み続けることだろう。
なお、ピアースの2000-01シーズンとNBAキャリアのスタッツは以下の通りとなっている。
– | 2022-23 | NBAキャリア |
---|---|---|
G | 82 | 1343 |
MP | 38.0 | 34.2 |
PTS | 25.3 | 19.7 |
TRB | 6.4 | 5.6 |
AST | 3.1 | 3.5 |
STL | 1.7 | 1.3 |
TO | 3.2 | 2.6 |
FG% | 45.4% | 44.5% |
3P% | 38.3% | 36.8% |
FT% | 74.5% | 80.6% |