コービー・ブライアントがナイキから独立し自身のブランド「マンバ」を設立する予定だった?
NBAレジェンドのコービー・ブライアントは今年1月、ヘリコプターの墜落事故により他界した。
ブライアントは娘たちのチームをコーチングするなど、NBAから去った後も精力的に活動していたが、新たなビジネスを立ち上げることも計画していたようだ。
AirbnbやUberなど有名企業に投資してきたシャーパ・キャピタル社共同創設社であるシャービン・ピシェバーによると、ブライアントは世界的スポーツブランドであるナイキとの関係を解消し、自身のブランド「マンバ」を設立する予定だったという。
ピシェバーはブライアントの「マンバ」ブランド創設計画について次のようにコメント。larrybrownsports.comが伝えている。
2019年12月下旬、私はコービー・ブライアントと会った。
コービーはナイキに満足しておらず、2020年中にナイキを去るつもりだった。
選手たちが所有するシューズ会社「マンバ」をスタートするつもりだったんだ。
その数週間後、彼は他界した。
彼がビジネスでやろうとしていたことは、彼のスポーツキャリアを蝕んだだろう。
彼はナイキのマーケティングに満足していなかったし、コービーのラインのプロモーションに満足していなかった。
彼のシューズの売上は低迷し、彼はナイキを非難したんだ。
ピシェバーによると、マンバブランドの創設計画は実際に進んでおり、新たなシューズをデザインしていたという。
また、「コービー・ブライアントのスニーカーヒストリー(1996-2020)」という本を執筆したパット・ベンソンも、ブライアントとナイキの関係が崩壊寸前だったと語っている。
彼のファンの多くは、引退後の彼のシグネチャーラインに対するナイキの対応に憤慨していた。
コービーもそれに不満を持っていたことは、(ファンにとって)救いだったのかもしれないね。
将来的に(ブライアントと)ナイキとの関係は確実に厄介になっていただろう。
だが、それはコービーの美しい複雑さでもある。
彼は常に限界をプッシュしていたんだ。
「マンバ」ブランドとしてデザインされたシューズはなかなか革新的に見えるが、果たしてお蔵入りとなってしまうのだろうか?
この計画が今も生き、マンバブランドが実現するのを願いたい。
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