アンドレイ・キリレンコ「NBAドラフトのことはまったく知らなかった」

アンドレイ・キリレンコは1999年のNBAドラフト24位でユタ・ジャズに指名されると、母国ロシアのクラブチームで2年間プレイした後、NBAデビューを果たした。
そのキリレンコがNBAドラフト当日の状況を明かした模様。
キリレンコによると、NBAドラフトがいつ行われるかさえ知らなかったという。
キリレンコは元NBA選手クエンティン・リチャードソンとダリアス・マイルズのポッドキャストのにゲスト出演した際、次のようにコメント。talkbasket.netが伝えている。
アンドレイ・キリレンコ:
「彼(エージェント)から朝の5時くらいに電話があった。彼は 『AK、おめでとう!ユタに指名されたぞ』と言った。僕は『本当か?何ということだ!ユタ・ジャズは数年前のファイナルでブルズと対戦したばかりだ。メイルマンとジョン・ストックトンだ』という感じさ」ダリアス・マイルズ:
「ブルズと対戦したのを見たなら、君はすでに彼らのことを知っていたの?」アンドレイ・キリレンコ:
「ドリームチームだ。全員の名前を知っている。ジェリー・スローンは伝説的なコーチだ。すごいことだ」クエンティン・リチャードソン:
「ドラフトされたことを知らなかったの?見なかったの?エージェントの午前5時の「おめでとう!」電話で知ったのかい?」アンドレイ・キリレンコ:
「ああ。何も知らなかった。いつ手続きしたのか、ドラフトがいつ行われるのか知らなかった。電話をもらった翌日、僕は(ロシアの)ジュニアチームにいたんだ。チームの全員が『調子はどうだい?メイルマン』という感じさ。
ジャズから指名されたことを知った時、キリレンコは喜びビ満ち溢れたに違いない。
キリレンコはNBA1年目から主力として活躍し、平均10.7得点を記録。
その後もジャズの中心選手のひとりとして素晴らしいキャリアを送ったが、2010-11シーズンを終えた後に一度NBAを離れ、母国ロシアのCSKAモスクワでプレイした。
なお、キリレンコのNBAルーキーシーズンのスタッツは以下の通りとなっている。
| – | 2001-02 |
|---|---|
| G | 82 |
| MP | 26.2 |
| PTS | 10.7 |
| TRB | 4.9 |
| AST | 1.1 |
| STL | 1.4 |
| BLK | 1.9 |
| TO | 1.3 |
| FG% | 45.0% |
| 3P% | 25.0% |
| FT% | 76.8% |


